子どもが生まれたことをきっかけに、自分の人生ややりたいことを深く考えるようになり転職した女性がいる。2021年春、フリーランスでありながら派遣社員としても働き始めた市岡光子さん。フリーランスのライター・広報、派遣社員で営業事務の仕事をしながら、キャリアコンサルタントの資格の勉強もこなしている。これまでのキャリアや、現在はフリーランスと派遣社員の二軸で働いている理由を伺った。
大学の広報としてキャリアをスタート
大学では社会学を勉強していた。社会調査をしたり、色々なことを論理立てて考えたりすることが自分にはあっていると感じていた。そうした強みを生かしたくて、広告業界に携わりたいと思い就職活動をしていたが、なかなか内定が決まらず難航する。
そんなとき、大学職員として内定をもらったサークルの先輩から、大学職員の仕事について話を聞き、興味を持った。市岡さんは、世の中の最先端の技術や知識を学べる大学という場所が好きだった。
「社会的意義があるし、やりがいも持てそうと感じて大学職員になりました」
職員として勤務してからは、大学案内の制作や大学公式HPのリニューアル、プレスリリースを出したりと、主に広報の仕事をした。より多くの人に自分の大学を知ってもらうにはどうしたらいいか、思考を巡らすのが面白かったという。
「実際に高校に出向いて、大学の説明や進路の相談をすることもありました。高校生の未来に携わる仕事にすごくやりがいを持てましたね」
ただ、もともとやりたいと思っていた仕事と異なっていたこと、大学職員のキャリアだけでは将来が不安になったことから、どこかのタイミングで自分のスキルを上げたいとも感じていた。
娘が生まれて、これからの人生を再び考えるように
働き始めて5年がたち、市岡さんは女の子を出産した。そして育休中に自分の人生や、やりたいことを改めて考えるようになる。
「当時、フリーランスという働き方が注目され始めた時期で、色んなメディアで取り上げられていたんですね。自分の力で仕事をしていく働き方がカッコいいと思ったのと、いずれは子どもを育てながら家で仕事ができたらいいなと感じて、いつかフリーランスに挑戦してみたいという想いが強くなっていきました」
復職すると、新設された部署に異動になった。大学職員は異動が必ずあるそうだが、もう少し広報として経験を積みたいと考えていた市岡さんは、大学で働き続けることに限界を感じた。
「このままやりたいことができずに人生終わっていいのかなって、すごく怖くなったんですよね。別の部署で大学職員を続けるよりも、広報のスキルアップのために転職しようと決意しました」
そして、経験を生かせるPR会社への転職を決めた。その会社では、PRアドバイザーとして企業の広報と、広報担当者の育成のお手伝いに携わった。
市岡さんがいた部署の執行役員は、PR経験が豊富な方で、彼女から学べることがたくさんあった。また、旅行会社、大手〜中堅IT企業、SNSマーケティングのスタートアップなど、様々な業種のお客さんを担当させてもらったという。様々な業種への知見が得られたことは、今のフリーランスの仕事にも役立っている。
コロナ禍で、二度目の転職
PR会社でスタートアップ企業の広報のお手伝いをさせてもらったときに、社会を変えていく力を感じた。画期的なサービスは目のつけどころが違った。純粋に面白いと思い、スタートアップ界隈にもっと関わりたく、再転職を決める。
新型コロナが流行り始めた頃だったが、PR会社を辞めると決めてから2カ月後に転職先が決まった。新規事業開発を行うベンチャー企業に、広報として入社するが、3カ月後にその仕事がなくなってしまう。
「会社の方針として広報の仕事は必要なくなってしまって、代わりに事業開発のアシスタントに就くことになりました」
その仕事内容は、今後伸びそうな会社のリストを上司から渡されて調べることだった。社内のコミュニケーションも取りづらく、何のために仕事をしているのかが分からなくなってしまったという。
「やりたいと思っていた広報の仕事から外れ、自分の役割が見えず、組織に貢献できていないという気持ちでモヤモヤしていました。仕事へのモチベーションもあがらなくなってしまい、苦しかったですね」
この状態から抜け出そうともがく中で、個人サイトのお手伝いで芸能関係の記事を書き始めた。
「子どもの頃から文章を書くことが好きでした。中学生のときは小説を書いていて、大人になってからも、はてなブログやnoteで何かしらの文章を書き続けていたんです」
フリーランスに挑戦するために、まずは派遣社員との兼業を選ぶ
徐々にライターをメインに仕事をしたいを考えるようになった。以前から興味を持っていた、フリーランスに挑戦したい想いもある。
ただ、家庭があるため、いきなりフリーランスでライターになるには収入面でリスクがあった。
「主人に相談したら、『えっ?大丈夫なの?』って。当然の反応ですよね。でも、このまま今の会社にいても未来は感じられない。やっぱりフリーランスに挑戦したいと思って、主人と色々な選択性を検討しました」
何度か話し合いを続けるなかで、最初の頃は派遣社員として働きながらフリーランスに挑戦するという道を見つけた。
「派遣社員で週3日働くと、社会保険に入れるし毎月一定のお給料をいただける。もちろん副業もできるから、個人事業の仕事も請け負えるんです」
派遣社員としては珍しく、完全在宅で働ける仕事だった。営業事務は未経験だったが、大学職員のときに身に付けたExcelなどの事務スキルが生かされた。
そしてフリーランスライターとして、インタビューを中心に記事を執筆しているという。
「出版社みらいパブリッシングさんのオウンドメディアでインタビュー記事を書きました。絵本作家の山咲めぐみさんにお話を伺ったのですが、編集者の方には、『話をうまく引き出せていて、良い記事だった』と言っていただけて。そこでライターとして自信がついたと思います」
PR会社で経営者の方にお話を伺い、プレスリリースを書いたり、メディアへのPR資料を作っていたが、その過程に似ていると話す。
「取材対象の魅力はなんだろうって、考えながらお話を引き出すところは、これまでの広報の経験が生かせていると感じます」
ライターもキャリアコンサルタントの勉強も。やりたいことへ突き進む
ライターとして走り始めた頃、ライターコンサルの中村洋太さんや、ライター・編集者のみやねえさんに出会った。そしてライターとしての基本的なスキルや、フリーランスの間口の広げ方を学んだ。
「SNSでの発信のほか、営業活動などを通して、徐々に目指していたインタビューの仕事を得られるようになってきたと実感しています」
市岡さんは現在、キャリアコンサルタントの資格取得を目指して、勉強もしているという。自身が就職活動や出産後にキャリアに深く迷った経験から、若者や女性のキャリアに寄り添うキャリアコンサルタントとしても活動したいと考えているそうだ。
「ライターかキャリアコンサルタントか、どちらかに絞るということは今は考えていません。個人で仕事をしていくと考えたとき、できることが複数あると良いのかなと思っていて。ライターもキャリアコンサルタントも、フリーランスのロールモデルとなる方を見つけて自分なりの方向性を考えているところなので、個人事業として生き残っていければと考えています」
色々と迷い、悩んだからこそライフワークとなるものを見つけられたという市岡さん。そこに向かって突き進む姿に勇気をもらえた。
画像提供:市岡光子
取材・執筆:つか(@tsuka_0806)
編集:中村洋太(@yota1029)