「どこにいても働けるスタイル」で仕事をしている女性がいる。永田尚子さんは、2人の子どもがいて現在3人目を妊娠中。夫の仕事の都合で転勤先に引っ越ししたこともあった。一見すると働きづらい環境だが、撮影や執筆など好きなことを仕事にしている。やりたいことを仕事にできている理由とは。永田さんの働くスタイルについて伺った。
心斎橋筋商店街の広報として就職する
大学生の時に大阪の心斎橋筋商店街で事務のアルバイトをしていて、卒業後はそのまま社員として働けることになった。
その頃、世の中ではSNSが盛り上がり始めた時期だった。永田さんはインターネットで心斎橋筋商店街をもっと多くの人に伝えたいと、上司に相談した。すると社内で新たに広報というポジションが作られ、彼女が担当することになった。
「20代の女性から見た心斎橋筋商店街っていうのをもっとSNSで発信したくて。人が多く集まる商店街なので、若い人や海外の人にも情報を届けたいと感じていました」
社内で広報の先輩となる人はいなかったから、全て手探りで進めていく。腕章を作ってもらい、商店街にあるお店を訪ねて「心斎橋筋商店街のホームページに載せさせていただけないか」と聞いてまわった。はじめの頃は緊張しながら話を伺い、お店の撮影をして記事を書いたという。前例ができると、印刷した記事を見せて次の取材依頼をした。
「昔からやっている個人経営のお寿司屋さんは、技術が高く味の保証もあるけど、高級そうに見えて敷居が高かったりします。でも実はランチに行くと、当時は1000円程で食べられたんですよ。そう記事で紹介したら、別のお茶屋さんから『うちは夏にかき氷だすから、ぜひ取材にきて』と誘ってもらうことがあったんです。心斎橋筋商店街は横の繋がりが強かったので、途中から取材がやりやすくなりました」
お店の方は永田さんが印刷した記事を店頭に貼ってくれたりして、喜んでくれたという。商店街の活性化にも繋がっていると感じた。
どこにいても働けるスタイルを目指す
取材に慣れてきた頃、心斎橋の街自体をPRしたくなり、商店街から少し外れた話題のお店や新しくオープンしたお店にも取材先を広げていった。ちょうど近くにシェアオフィスができて、Webメディア「NEXTWEEKEND」の編集長、村上萌さんのトークショウの取材をした。当時20代前半で会社を経営していた村上さんの働き方に、永田さんは衝撃を受けたという。
「自分と同い年なのにビジョンを持ちながら会社を経営していて、さらにどこにいても働ける環境を作り出していることに驚いたんです。もし結婚したら、夫の仕事の都合で引っ越しする可能性もあると考えていたこともあって、どこにいても働けるスタイルを目指したいと感じました」
社員として働いていた心斎橋筋商店街は、自分のスキルアップになるような副業はどんどんやっていいと言われていた。そこで永田さんは、ライターとして活動を始める。
「フリーペーパーの『大阪スケジュール』に無償で書かせてもらえないかと、問い合わせをしました。そしたら大阪の今を伝えるという連載を書かせていただけることになって。数百字の小さなスペースでしたが、そこでテーマ選びや構成など、プロの世界の厳しさみたいなものを学びました」
連載は1年続き、永田さんはライターとしての実績を作ることができた。
オフィスは東京だが、大阪でフルリモート
『大阪スケジュール』の実績をもとに「NEXTWEEKEND」のコラムニストに応募して、暮らしの楽しみ方や簡単なDIYの記事を書かせてもらえることになった。
「こういうのがあったらいいな、と思うものをDIYで作ってみて、それを記事にしていました。何か特別なことをしていなくても、日頃から自分が何をしたいのか、どういうものを作りたいのかに敏感になることを意識してましたね」
さらに、永田さんのInstagramを見てくれていた企業からもコラム連載の依頼がくる。JTBトラベルの旅×手土産系のWebメディアで毎月2本程度の記事を書いた。
この頃から個人で仕事を受け持つことが徐々に増えていった。
2019年に、夫が東京へ単身赴任することになった。永田さんは1年間、大阪で子ども2人と生活し、その後に東京へ引っ越ししようと決断した。そして、柔軟に働ける環境だった心斎橋筋商店街は、2019年2月に退社する。
そのタイミングで、NEXTWEEKENDの方から「来年東京に来るなら、今は大阪でリモートでいいからコミュニティマネージャーとして働いてほしい」と声がかかった。コミュニティマネージャーの役割は、全国各地にいる2〜300人の編集部メンバー(読者組織)を取りまとめ、それぞれの得意分野に合わせてさまざまな活動を盛り上げていくことだ。そのため、日頃からメンバーとのコミュニケーションを心がけたり、Instagramを覗いて誰が今どんなことに興味を持っているのかをこまめに見てノートにメモしたりしていた。
まだコロナ禍になる前だったから、周りでフルリモートで働いている人はいなかったと話す。
「今は全員がzoomの画面にいますが、当時はオフィスと私の2画面で繋がれていたんですね。はじめはコミュニケーションの難しさを感じました。雑談もなかなかしづらかったり。途中、旦那さんの転勤で静岡に引っ越しした人がいて、リモートしている画面が増え3画面になったんです。その頃から徐々に慣れていきました。あと、私ひとりで子ども2人を見ていたので、なにげない雑談って実はすごくリフレッシュになっていたんだなって」
在宅で撮影の仕事が増える
その後東京に引っ越して、子どもが保育園に入れなかったため幼稚園に通うことになり、仕事できる時間が短くなった。そのためコミュニティマネージャーとしての時間の確保は難しい。コミュニティマネージャーから外れ、連載「子育て交換日記」のみ書かせてもらうことになった。
これまで書いた記事では、写真撮影も手掛けることが多かった。永田さんのInstagramを見ると、雑誌にでてくるような素敵な日常の一コマが並んでいる。それを見たメーカー様から、自宅での撮影案件をいただくことが増えたと話す。
「こういう雰囲気を出したいですとおっしゃっていただけたり。家の雰囲気や小物などInstagramで見せているので、メーカー様から、あの木のテーブルに白いお皿を使って撮ってくださいと、具体的におっしゃっていただけることもあるんです」
彼女の持ち物をほぼ把握している担当者もいるそうで、「そういうコミュニケーションも楽しいですよ」と永田さんは笑う。
常に発信していたら仕事に繋がった
永田さんは、Instagramでよく日常のワンシーンを投稿している。それが思っているよりも多くの人に広く伝わっていると感じているそう。実際に、InstagramのDMに企業から仕事の依頼が舞い込んでくる。
「好きなことや得意なことが明確になっていなければ、求人情報誌を見て、家の近くで勤務時間を条件にして探していたと思うんです。でも撮影や文章を書くことが好きだと周りに伝わっていくと、どこからともなくお仕事をいただける。ありがたいですね」
夫の仕事の都合で、今後も引っ越しする可能性がある永田さん。「いつ引っ越すかわからないから働けない」「子どもが小さいから外で働きづらい」そういった待っている姿勢より、外に向けて発信して、やりたいことに挑戦していく姿は楽しそうだった。
写真提供:永田尚子
取材・執筆:つか(@tsuka_0806)
編集:中村洋太(@yota1029)