こんにちは、けんわたです。僕は今フリーランスのライターとカメラマンとして活動しています。フリーランスになる前は仕事が定まらず、4回ほど転職を繰り返してきました。
人からみたら傷だらけの経歴かもしれませんが、その経験は決して無駄ではなかったと思っています。
今回はそんな私の転職経験談を包み隠さずお話します。
新卒でスーパーマーケットに就職
僕は4年制の大学を卒業したあと、地元愛知県の小さなスーパーマーケットに就職をしました。入社した理由は特にこれがやりたいという気持ちはなく、接客が得意だったからという理由と早く就職活動を終わらせたいという気持ちが強かったからです。
本当はホテルマンを目指していたのですが、第一志望のホテルの選考に落ちてしまい、完全にやる気を失っていました。そのため最初に内定が出たこの会社で「まあいいや」という軽い気持ちで就活を終えました。
早朝から夜遅くまで働き詰めの労働環境
スーパーマーケットに入社して、研修を1ヶ月ほど受けたあと店舗に配属されたのです。
僕はフロアという売り場の商品の陳列を考えたり、在庫に合わせて商品を発注するスタッフとして働くことになりました。
研修の間は、定時で帰れていたものの、現場に入ってからは苦しい日々が待っていました。
まずは長時間労働です。新人として朝の品出しをやることが多かったため毎日7時に出社していたのです。
8時間労働で考えると定時は16時頃になりますが、お店の閉店までは帰らせてもらえませんでした。「スーパーマーケットではこれが普通」と、配属した店長はそう話していました。
もちろん残業代が出ればなんとか耐えれたかもしれませんが、その現場では定時になったらタイムカードを切るように命令を受けました。そのため残業していても記録すら残りませんでした。
正直意味が分からないと思いつつも、新人だから仕方ないものなのかと受け入れようと努力しました。
海外への憧れが捨てきれず4ヶ月で退職
そんな努力も、もともとモチベーションがなかった僕は長く持ちませんでした(笑)。休みの日にも研修が入るようになるなど、自由な時間が減っていったため日に日に神経がすり減っていくのを感じました。
さらに、内定が決まってから自分が雑に就職活動をしたことを悔やみました。というのも、卒業旅行でバリ島に行ってから、漠然ともっと海外と関われる仕事を選べば良かったと思うようになっていたのです。
もともと海外に興味があったものの、自分には縁のない世界だと諦めていました。ただ、実際にバリ島で現地の人とコミュニケーションを取ったり、行ったことのない場所を訪れたりした刺激が忘れられずにいました。
そんな漠然とした憧れを抱いていた分、当時の僕は目の前の現実とのギャップに気持ちを割り切ることができずにいました。散々悩んだ結果、どうせ辞めるなら早めにやり直したいと考え、入社して4ヶ月後の8月に退職し就職活動をやり直すことにしました。
1年間フリーターをして上京
勢いで会社を辞めてしまった僕には、とても辛い現実が待っていました(笑)漠然と海外に憧れていた僕は、パソコンも得意だったこともあり「世界で通用する仕事=ITでしょ!」という単純思考でIT企業への転職を目指すことにしました。
パソコンが得意といってもタイピングが早くできるだけで、エンジニアのような言語スキルなどは一切ありません。そのため、第二新卒でポテンシャル採用をしているところに絞って仕事を探しました。
また、IT企業は地元には少なかったため、東京中心に転職活動をすることに。転職サイトはリクナビネクストなども使っていたのですが、WantedlyというIT企業に特化した求人サイトをメインに利用していました。
Wantedlyのいいところはいきなり面接ではなく「話を聞きにいく」という気軽に面談ができる機能があったため気になる企業に片っ端から連絡をしました。
しかし、未経験かつ新卒で入社した会社を4ヶ月で退職してしまったというステータスは印象がどうしても悪いのか、門前払いされてしまうことも少なくはありませんでした。
悪戦苦闘の日々に心が折れそうな毎日でしたが、30社以上の面接を受けなんとか
海外への憧れが捨てきれず2度目の転職
ITエンジニアとして転職してからは、ヘルプデスクのエンジニアとして大手通信系会社に出向して働いていました。仕事としては企業用の携帯端末の管理業務で新入社員への電話番号の発行や遠隔でのアプリケーションのインストールなどを任されていました。
エクセルで情報の管理をしていて、業務もテンプレート化している物も多かったため、関数を組んだりVBAというエクセルを自動で動かすプログラミングを組んだりと業務の効率化するためのシステム構築も担当していました。
仕事は楽しく、先輩もとても優しかったので充実した日々を送っていたのですが、どこか満たされていない自分がいました。その理由は、やはり海外への憧れが捨てきれていなかったからです。
バリ島に行ってからは、転職活動の合間にマレーシアとシンガポールに行き、IT企業に在籍中もリフレッシュ休暇を取り、タイとラオスを1人旅しました。2度の旅行を経て自分は東南アジアのエネルギー溢れる空気が好きということに気付き、住んでみたいと思うようになりました。
そんな話を東京でできた友人に話したところ、日本にいながら東南アジアでの日本人向けの仕事を紹介している人がいると紹介をしてくれました。
興味を持った僕はその方を紹介してもらい、思いを伝えたところ、仕事をいくつか紹介してくれました。当時は会社に不満もなかったので、とりあえず受けてみてダメだったらまた今の会社にいればいいやと思い2社ほどオンライン面接を受けたのですが、なんと1社から内定をもらうことができました。
その会社はカンボジアの現地で立ち上げた日系企業で、人材紹介の営業職としての採用です。
社員は26人ほどですが日本人は社長ともう1人の営業の先輩の2人だけでした。
営業も未経験かつ英語も日常会話程度しか話せませんでしたが、ポテンシャルを評価してもらい、社長直々に研修を行うという話でした。
この時、内定を承諾べきかとても迷ったのですが、もし失敗するとしても若いうちに失敗した方がいいと考え飛び込んでみることにしました。
会社からは引き止めにあいつつも自分の気持ちが変わらないことを伝え、最終的には応援の言葉を受けて退職しました。
上京して1年3ヶ月という時を過ごし2017年の2月にカンボジアへと渡航しました。
カンボジアに就職するも試用期間で退職に
念願の海外就職を果たし、やりがいをもって楽しく働いています!…という未来を想像していたのですが、そうはいきませんでした。
結果的にカンボジアに渡航してから3ヶ月で退職をすることになったのです。その理由はシンプルに営業としての結果を出せなかったからでした。
仕事内容としては、人材紹介の営業としてカンボジアに進出している日系企業に対して、カンボジア人の求職者を紹介するというものでした。
社長直々に研修をという話を聞いていたのですが、実際は社長も営業成績を上げるためにとても忙しく、マンツーマンで教えるという状況ではなかったので、僕をおいて営業に出ることがほとんどでした。
さらに、僕は初月から社長と同じ営業ノルマを課せられそれをクリアする必要がありました。ちょっと想像した環境と違うかもしれないと思いつつも、やると決めて来た以上頑張るしかないと、とにかくがむしゃらに働きました。
慣れない仕事に慣れない生活に疲弊していく
入社してからカンボジアの日系企業をリストアップし、テレアポをして、打ち合わせの約束ができれば直接ヒアリングをして求人票を作って…という毎日を繰り返していましたが、英語力も未熟だった僕はカンボジア人のスタッフとのコミュニケーションも十分に取れずにいました。
悪戦苦闘しながら1ヶ月、2ヶ月と働いてきましたが営業成績はノルマを達成できませんでした。さらに、社長の接し方はとても厳しく、何をしても怒られるような状況が続いていました。だんだんとそれに萎縮するようになってしまい、だんだんと会社に行くことが億劫に感じるようになりました。
社長には入社前に「鍛えてください!」と伝えていたので、自分が悪かった面もありますが、怒られる内容の中には八つ当たりをされているようにも思えることがあり、ふに落ちない部分もあったのです。
また、ランチ中に「食べ方が汚い」と言ってきたり「君はカンボジア人よりも給料が高いのにカンボジア人より仕事ができない」などパワハラに近いような言葉を吐かれることも多く、社長との関係に悩む日々が続いていました。
そこに追い討ちをかけたのが現地での慣れない暮らしです。やはり旅行で行くのと住むのとでは大きく違いました。住んでいたアパートでトラブルがあってもうまく伝えられなかったり、スコールで頻繁に停電したり、心から話せる友達がおらず息抜きもできなかったりと仕事外でもストレスを抱えていました。
おそらく慣れてしまえば平気だったのですが、仕事のストレスに悩まされていた僕にとってはさらに追い討ちをかけられるほど辛いものがありました。
全く結果が出せず退職することに
想像以上にうまくいかない日々がすぎて、あっという間に試用期間の終わる3ヶ月目になっていました。この頃に社長が言った「君はもうフェードアウトだね」という言葉は生涯忘れることはないと思います。
僕自身も完全に心が折れてしまっていたため、試用期間で退職することに決めたのです。正直この頃の記憶があまりないのですが、せっかく前の楽しかった会社を辞めてまで海外就職を果たしたのに全く仕事ができない自分を責め続けていました。
もうダメだとわかった時に、大号泣しながら母と父に電話をしました。僕の状況を察してくれた母が「挑戦したことに意味があるんだから、帰ってきてもいいんだよ」と声をかけてくれ、父も「胸張って帰ってこい」と優しい言葉をかけてくれて、僕は一度日本に戻ってやり直すことに。
夢にまでみた僕の海外移住は、4ヶ月という期間で終わりを告げることとなりました。
挫折から立ち直り、再び東京へ
逃げるようにカンボジアから帰ってきた僕は、経歴もボロボロだったため「もうなんでもいいから働かせてもらえる場所で働こう」と思っていました。当時は地元の愛知県にいたため愛知県中心で仕事を探し、リクナビ転職エージェントに登録してエージェントにも話を聞きに行きました。
そのほかにもWantedlyに登録していた情報を見てくれたIT系の企業がスカウトを送ってくれていたため、エージェント経由で5社ほどとそのスカウトをくれた企業の選考を同時進行で受けていました。
その結果、エージェント経由で1社とスカウトをくれた企業から内定をもらうことができました。前職では内定をもらうのに1年かかりましたが、今回は2ヶ月だったので正直とても驚いたのを覚えています。(笑)
このときも特にこれがやりたいということはなかったのですが、IT系企業に身を置きたいという気持ちがまだあったため、スカウトをくれた企業への入社を決意し、再び東京へと戻ることになりました。
2017年の7月のことです。
副業でライターの仕事を始める
4社目となるIT企業の会社では、2社目のように出向社員として大手企業のヘルプデスクに常駐して働いていました。その会社では社内のPCトラブルの対応や、海外のヘルプデスクとの英文のやりとりなどを行っていて、これまでの仕事の経験を活かしての業務です。
始めはこの会社で愚直に働こうと思っていたのですが、この頃から僕は上司の顔色を伺ったり周りの環境に影響されて自分を出せなくなってしまうため、会社員という働き方自体が合わないのではないかと考え始めていました。
ちょうど同じ時期にフリーランスという働き方を知り、時間や人に縛られずに働けるようになれればまた海外で暮らせるようになれるかもしれないと思うようになりました。そう、まだ海外を諦め切れていなかったのです(笑)
この会社は副業が可能だったのでまず何か始めようとブログを書き始めます。好きなことを書いて広告を貼り付けるということを続けていたら、お小遣い程度のお金を稼げるようになっていました。
ある日、このブログを見てくれていた知り合いのメディア運営者の方が、ライターの仕事をしてみないかと声をかけてくれたのです。その方との出会いが人生の転機となりました。
目標としていたフリーランスの道へ
2017年の9月頃から正社員として働きながら空いた時間にライターの仕事をするようになったのです。タイピングが得意だったこともあり、文章を打つのは全く苦ではなく、副業で仕事するのをとても楽しんでいました。
当初からフリーランスのライターとして独立したいと考えていたため、8:00から17:00まで会社の仕事を終わらせた後、カフェにこもり18:00から23:00ごろまでライターの仕事をするという毎日を過ごしていました。
その結果、12月にはライターとしての収入も新卒の給料くらい得られるようになっていました。この調子ならフリーランスになれる!と思った僕は翌年の2月に退職の申し出をし、2018年の3月からフリーランスのライターとして独立を果たしました。
独立して2年半。写真と文章の2軸で生きられるように
現在、フリーランスになって2年半が経ちましたがなんとかやっていけています。現在では昔から趣味でやっていたカメラも仕事につなげることができていて、写真撮影と記事の執筆という2つの軸で生計を立てています。
会社員に比べて収入に波がありますしすべて自己責任なので大変な部分もありますが、時間や場所などに囚われることなく自由に仕事ができるので自分らしく働けています。
今の目標は海外に行ってもフリーランスとして通用する人間になることです。今はコロナウイルスの影響もあって海外は遠い存在になってしまいましたが、コロナが明けた頃にはいつでも移住ができてしまうくらいの信頼と実力を日本でつけておきたいと思っています。
まだまだフリーランスとしても安定しているとはいえませんが、この先も常に自分らしく楽しく働いて生きていくことが目標です。
何度失敗してもやり直せる
こうして振り返ってみると、大学を卒業してからは本当に波乱万丈な人生を歩んでいるなと感じています(笑)
自分なんてもうダメだと思うことも何度もありましたが、これまで経験したことは必ずその後の人生に活かされていて、無駄なことは1つもなかったと思っています。
何度も失敗してきましたが、その度に自分を見つめ直してやり直していけると学べたことは大きな財産です。これからも失敗を恐れずに挑戦し続けていきます。
この経験談が誰かの一歩を踏み出すきっかけになれれば幸いです。
取材・執筆:渡辺健太郎(けんわた)(けんわた@美容とジェンダー)
編集:chewy編集部 はら