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【オペラ歌手×ライター×広報】藤野沙優さんのパラレルな働き方

コロナ禍で本業がほとんど稼働できなくなった、という話をよく聞きます。そんななか、自分の得意なことや興味のあることを仕事につなげ、パラレルキャリアを軌道に乗せた方もいらっしゃいます。
今回はその一例として、「オペラ歌手」「ライター」「広報」と3つの軸で働かれている藤野沙優さんをご紹介します。

オペラ歌手としての働き方の変化

ーーどうしてオペラ歌手になろうと思われたんですか?

幼稚園の頃から歌うことが好きでした。自宅のインターホンの受話器をマイクがわりにして、歌ったりしていたんです。小学生になり合唱団に入ったら、歌うことがより好きになりました。その後、中学で入ったのがコーラス部でした。コーラス部では文化祭で毎年ミュージカルをやっていて、中高一貫校だったので高校生とも一緒にひとつの舞台を作り上げていくんですね。年齢差があると声の出し方や表現の仕方が全く違うんです。先輩方を見ていて、「なんてかっこいいんだろう」と思って。だから初めはミュージカルの道に進みたいと考えていました。

ーーそれがどの段階で、ミュージカルからオペラ歌手へと気持ちが変わられたんですか?

中学3年生の頃、声楽の先生からオペラを勧められたんです。生の舞台には触れていませんでしたが、CDをたくさん聴くように心がけて、オペラアリアの勉強もしていました。ただ、ミュージカルをどうしても諦められなくて…高校二年生のときに、ミュージカルの学校の体験入試を受けに行ったんです。そしたら「あなたはミュージカルよりオペラが向いてるよ」って、審査員の先生がおっしゃってくださって。体験入試の先生からも勧められたことで、オペラ歌手を選ぶ覚悟が決まりました。

ーー藤野さんはオペラでどんな曲を歌われるのでしょうか?

プッチーニ作曲の『トゥーランドット』や、ドイツの作曲家であるワーグナーの作品をレパートリーにしています。私はソプラノ歌手ですが、ソプラノの中にもいくつか声の種類があるんです。「レッジェーロ」「リリコ」「ドラマティコ」などに分かれていて、私の声質はドラマティコです。ソプラノ・ドラマティコは、劇的な表現が求められる声質なんです。自分の声は柔らかく深い音色があって、自分自身ではチェロのようなイメージをもっています。

ーーちなみに、「レッジェーロ」や「リリコ」はどんな声質なのですか?

「レッジェーロ」は、もっとも高く、軽い声質です。個人的には、ピッコロやフルートのようなイメージですね。音の粒を滑らかに、速く転がしていく「アジリタ」という技巧も多く求められます。

参考音源はこちら
モーツァルト作曲《魔笛》より、夜の女王のアリア

一方「リリコ」は、叙情的な表現が多く求められる種類の声質なんです。私はヴァイオリンのような音をイメージをしています。

参考音源はこちら
プッチーニ作曲《ラ・ボエーム》より、ミミのアリア

自分自身の声質や、もともとの声帯、体も含めて歌える曲が変わってきます。

ーーなんでも歌えるわけではないんですね。

「自分の声」という楽器を大事にしているからこそ、専門領域外には手を出さないんです。それは他の声の領域の方とお互いに尊重しあっていることでもあります。
時に「夜の女王は歌えますか?」「カルメンは歌えますか?」と質問をいただくのですが、「それは私の声の領域とはちょっと違うので、歌わないんですよ」とお伝えして、すごくがっかりさせてしまうこともありました。

ーーコロナ禍でオペラのお仕事にはどのような変化がありましたか?

昨年の春はどのオペラ団体も公演休止となり、非常に苦しい状態が続いていました。夏を迎える頃になり、各団体が少しずつコンサートを再開させていきました。私自身も昨年夏に、所属している東京二期会で、コロナ禍になって初めてのオペラ公演、ベートーヴェン作曲のオペラ『フィデリオ』にカヴァーキャストとして参加させていただきました。カヴァーキャストは何か起きた時の控え要員なんです。だから、実際に自分が歌う機会はほとんどありませんでした。音楽稽古も含めると本番までの3ヶ月ほどの期間、キャスト・スタッフなど公演に関わる方々すべてが、緊張感の中でも「この公演を成功させよう」という強い意志を持って、日々の稽古に参加されているご様子を、私は見守り続けていました。その時の現場で感じたものが、コロナ禍における自分の音楽活動のあり方を方向付けたように思います。

ーー具体的にどんなことを感じられたんでしょうか?

実は私にとって、大きなプロダクションの公演に長期間携わらせていただくのは、初めての経験だったんです。だから先輩歌手の皆様から、たいへん多くのことを学ばせていただきました。芸術面のことはもちろんですが、人としての素晴らしい在り方を学ばせていただけたことが、自分にとってのいちばん大きな財産となりました。私も、自分自身を律して、「どんな時でも周りの方々への思いやりを自分から表していけるようになろう」と思うようになったんです。

ーー音楽活動で新しく試みたことはありますか?

研修所の同期とやっている演奏団体がありまして、昨年7月に無観客の配信コンサートを2回行いました。その際はクラウドファンディングも利用し、たくさんの方からご支援いただくことができました。

ーーすごいですね。無観客のライブ配信はやってみてどうでしたか?

目の前にお客様がいらっしゃるのとは違う緊張感がありました。ホールにいるのはスタッフと演奏者だけなので、お客様の反応が分からない中で粛々と自分の務めを果たしていく。誰もいないけれど、映しているカメラの先にはたくさんの方々がいらっしゃると思うと、すごく不思議な感覚でした。

ーーどんな反響がありましたか?

多くの方に喜んでいただけました。オペラにあまり関心がなかった皆様にも見ていただけたりして。「人の声ってこんなにすごいんだね」「画面を通じて震えや響きがすごく伝わった」「仕事のBGMにしようかと思っていたけれど、つい手を止めて聴き入ってしまった」と、お声をいただけたんです。あと、ご家族でテレビ画面に映して見られたという方もいらっしゃって。ああ、オペラの新しい楽しみ方が始まるんだなって、漠然とした予感を抱きました。またライブ配信する前には、出演者のインタビューをしたり広報も手がけたんです。お客様に出演者の人となりを知った上で見ていただけたのも良かったのかもしれません。

ライターと広報をお仕事にするきっかけ

ーーインタビューや広報のお仕事もされているんですか?

演奏団体では、広報や記事を書くお仕事もしていたんです。インタビュー記事を書いたりしていました。

ーー記事を書くお仕事のきっかけはなんだったのでしょう?

もともと書くことが好きで、昔mixiで色んなことを書いていたんです。周りの友人にも書くことが好きだと公言していたんですね。そしたら2005年に、TOKYO FMに勤めていた友人から、ある情報番組を作るのだけど構成台本を書いてもらえないか?とご依頼をいただいて。その事をきっかけにライターのお仕事もさせていただくようになりました。

ーーそれ以来ライターのお仕事を続けてこられたんですか?

断続的にお仕事をさせていただいていました。本腰を入れ始めたのは、コロナが流行した昨年からです。

ーー本腰を入れようと思って、まず何をされたんですか?

はじめにポートフォリオサイトを整備しました。お仕事を発注いただくにしても、自分が書いたものを見てもらい判断していただく場が必要だと考えたんです。
またポートフォリオサイトと並行して、インタビューだけを集めた「ヒューマンインタビュー」というサイトも立ち上げました。歌を教えるお仕事をしていたときに、その人の楽器の声を聞くことをいつも大事にしていました。どんな音楽をやっていきたいか、体や心はどんな状況か、その人の進みたい方向をお伺いして、こうありたいと願う方向に進んでいけるように、手助けしたいと思いながら指導に携わっていたんですね。基本的に話すより聞くことが好きなんです。色んな方の話が本当に尊くて、自分の中に留めておくのがもったいないと感じて、インタビューの記事を少しずつ重ねていきました。

ーーライターのお仕事はどうやって見つけられているんですか?

ある企業様がお仕事の募集をされていたので、応募しました。オンライン面接とテストライティングを受けて、書かせていただけるようになりました。クラウドソーシングも試そうとしましたが、自分には合ってないと感じたので、今ご縁をいただいているお仕事を大事に育てていこうと思って。そしたら他のお仕事もいただけるようになったりするように。

ーー他はどんなお仕事をされているのでしょう?

この春から、オペラをテーマにした新しいWebメディア「オペラ・エクスプレス」で、インタビュー記事を書かせていただくようになったんです。先日はテノール歌手・錦織健さんにインタビューさせていただきました。
錦織さんは、1990年代後半の「ネスカフェ」のCMにご出演されたこともあります。《トゥーランドット》の「誰も寝てはならぬ」を歌われるご様子が流れ、日本の一般家庭でのオペラに対する認識を新たなものになさりました。
当時まだ高校生だった私は、CMでのスタイリッシュな錦織さんの佇まいと情熱的な歌声に心惹かれ、「オペラ歌手ってなんてかっこいいんだろう」と感動しました。それ以来、ひそかにファンであり続けた錦織さんに、こうしてインタビューさせていただける機会が巡ってくるとは、思いもよりませんでした。

ーーオペラ歌手とライターのお仕事を並行していてどんな変化がありましたか?

私の場合、よりありたい自分に近づけたという風に感じています。歌うこと、書くことを同じぐらい大事にして、自分の居場所を両方作ることで、いいご縁にも恵まれてすごく自分自身が楽になりました。

ーーライターのお仕事で飛躍や発展はありましたか?

2つありまして。1つ目は音楽界の第一線で活躍されている方々にお話をお伺いできるようになったことです。これまで「ヒューマンインタビュー」などで記事を積み重ねてきたこともあり、インタビューのお仕事に繋がりました。
2つ目は、企業様の広報もさせていただけるようになったことです。長期的な広報戦略や、ブランディング、そういうお仕事が実は得意分野なんだと、最近分かってきました。
さらに個人の方のブランディング育成のお仕事にも携わっていきたいという風に思っていて。ブランドコンサルタントとしてのお仕事も始まったところなんです。ライターと広報のお仕事でパラレルキャリアの可能性が広がったと感じています。

ーー企業様の広報のお仕事って具体的にどんなことをされているのでしょう?

戸越銀座にある屋根専門のリフォーム会社の「石川商店」さんの広報活動をしています。そこは瓦割り道場もやっていて、TwitterやYouTube、インスタグラムなどで発信してるんです。瓦割りは、世界に向けて英語をはじめ各国の言葉でも発信し始めているところです。
尚且つ、戸越銀座商店街の公式応援団もしていて。「よりみち、とごし」というメディアを通して、戸越銀座を盛り上げていくお手伝いをしています。

ーー広報、ライター、オペラ歌手のお仕事を並行していて、大変な部分はありますか?

それぞれにお仕事のお話が多くなってくると、体がひとつなのでキャパシティを増やせないですね。ありがたいお話をたくさんいただき、それにお応えしようとしていたら、あれ?時間がない…という風になったりしました。オペラ歌手は自分自身の心と体が楽器なので、体の状態がそのまま声にでてしまうんですね。おそらく声が硬くなっていたら、ライターとして書く文章も硬くなっているんだろうなと思います。だから今はスケジューリングを第一に考え、自分を緩める時間を何より大事にしています。

ーースケジュールはどのように管理しているのでしょう?

能率手帳に手で書いています。睡眠時間とのんびりする時間を真っ先に確保しているんです。後、タスクが完了したら花まるをつけていますね。自分のコンディションを保ちつつ、毎日の暮らしを損ねないことを大事にしています。

ーー藤野さん、ありがとうございました!

取材・執筆:つか(@tsuka_0806
編集:中村洋太(@yota1029