「不惑」の意味とは?何歳?由来から使い方、類語、本当の意味まで

「不惑」とは「アラフォー」という意味

A課の課長さんが脱サラしてラーメン屋を始めるらしいよ

凄いなとは思いますが…「四十にして惑わず」からかけ離れていますよね

そう?実は課長さんみたいな人こそ「不惑」にふさわしかったりして

不惑を迎えたが実感がない 

年齢を聞いたときに「まあ、不惑ですよ」とかっこつけて答える人がいますよね。知らなかったら「?」状態ですが一体いくつなのでしょうか。

「不惑(ふわく)」とは「40歳」のこと。昔は数え年が主流だったため現在の38、39歳が「不惑」でした。まあ「アラフォー」と考えればいいでしょう。

また、「不惑」は単純に年齢以上の意味を含む言葉でもあります。

「不惑」が含む意味

「不惑」は「惑わず」と読み下します。40歳になったら「惑わず生きていきなさい」という言葉として認知されていますよね。

「惑う」とは「行先が見定められずにうろたえること」。つまり、「不惑」とは「40歳になったら新しいことに手を出さず今までやってきた道を歩んでいきなさい」という意味も含んでいると考えられています…が、それは正しいのでしょうか。

「不惑」の由来

そもそも、「不惑」とはどこの誰が言いだした言葉なのでしょうか。

「不惑」は「孔子曰く…」で知られる「孔子」が弟子に語った話が由来とされています。孔子が人生を振り返って「四十而不惑(四十にして惑はず)」といったのが元ネタ。

重要なのは孔子は別に教えとして語ったのではないという点です。孔子は人生を振り返って「40歳のときは不惑だったなぁ」くらいの感じで語ったものが時代を経て、人生とはこうあるべきものという指針になっていきました。

仮に「40歳でラーメン屋を始めたなぁ」と語っていたら、今頃40歳以上の人はみんな「ラーメン屋」を目指していたかもしれません。

「不惑」以外

孔子は40歳以外の年齢も振り返っています。

・15歳⇒志学(しがく、十有五而志於學、十有五にして学に志す)

・30歳⇒而立(じりつ、三十而立、三十にして立つ)

・40歳⇒不惑(ふわく、四十而不惑、四十にして惑はず)

・50歳⇒知命(ちめい、五十而知天命、五十にして天命を知る)

・60歳⇒耳順(じじゅん、六十而耳順、六十にして耳順ふ)

・70歳⇒従心(じゅうしん、七十從心所欲不逾矩、七十にして心の欲する所に従へども矩を踰えず)

現代語訳すると、以下のようになります。

 15歳で学問を志し、30歳で自分の考えを持った。40歳で惑わず物事を見ることができるようになった。50歳で自分の使命を知った。60歳で人の言葉に耳を傾けられるようになり、70歳で思うままに行動しても道理は外れないようになった。

孔子でさえも50歳になるまでは自分の使命がわからなかったんだから、30歳の自分にわかるはずがない、といったように引き合いに出されることもあります。

「不惑」の本当の意味?

「不惑」は実は「不或」だったのではないかという説も。「惑」と「或」は中国語読みが同じであり、さらに孔子の時代には「惑」は存在しなかった可能性があることからこの説は生まれました。

「或」は当時、「区切る」という意味で使われていました。つまり、「不或」は「区切らず」。「四十にして惑はず」ではなく、「四十にして区切らず」。「40歳で区切りを付けずに物事を見ることができるようになった」という意味に。

この説だとすれば、40歳は「道を迷うことなく生きろ」ではなく、「固定観念を捨てて生きろ」という指針になります。人間とはこうあるべきという考えを捨て、新しいことに挑戦していけ。

「不惑」の使い方・例文

例文

不惑の年とはいえ、まだまだ未熟者です

不惑とは言うが迷うことばかりだ

・40歳をとうに超えてようやく「不惑」の意味がわかってきた

「アラサー」、「アラフォー」と同じように正確な年齢を口にするのがはばかられるときに「不惑」は使われます。また、「40歳」という年齢に意味を持たせて語りたいときにも。

「不惑」でも「不或」でも

自分の進むべき道を見つけ迷わず突き進む40歳にしろ、固定観念を捨て新しいことに挑戦し続ける40歳にしろ、後輩から見るとカッコイイですよね。

自分が40歳になったときに後輩たちから憧れてもらえるような存在になれるように日々精進していきましょう。