「他力本願」は「他人任せ」という意味で使われるけど…
他力本願の気持ちがあるから失敗したんだ!
このように説教されているときに、『そういえば「他力本願」って別の意味があるんだったな…なんだっけ?』と考えて上の空になったせいで、さらに怒られた経験がある人はいませんか。
「他力本願(たりきほんがん)」は「他人任せ」という意味で使われていますが、これは本来の意味ではありません。
もともと「他力本願」は仏教用語で、良い意味の言葉なのです。
「お前は他力本願だ」といつも怒られているあなた!実は褒められているんですよ…とはなりませんが、正しい意味を知れば軽々しく使えなくなるかも。
「他力本願」の本来の意味
「他力本願」は「阿弥陀如来」を信仰する流派で使われるワード。特に「親鸞」が興した「浄土真宗」で大事にされている教えです。
「他力」=「阿弥陀如来」
「本願」=「誓い・願い」
このような意味になります。
本来の「他力本願」の意味は「阿弥陀如来の誓い」。阿弥陀如来が立てた人々を救うという誓いを拠り所にして仏教の教えを学んでいくことです。
軽々しく使えない理由
「他力本願」=「他人任せ」というのは、語感が似ているだけで全く違う意味ということがわかったかと思います。
仏教関係者は「他力本願」のこの使い方をよく思っていません。実際に企業のキャッチコピーや政治家の発言でこれを使ってしまいクレーム問題になったことも。
気心の知れた間柄で使うのはいいとしても、あまり知らない人の前で軽々しく使うと思わぬ不快感を与えてしまうかもしれません。ましてや仏教関係者の前で使うのは控えましょう。
でも、本来の意味から変わって使われている言葉なんて他にもたくさんあるし…「他力本願」だけじゃないでしょ
おっしゃる通りです。おおざっぱに言ってしまえば、言葉というのはそんなものです。
仏教は生活に根づいたものであるため、仏教由来の言葉は少なくありません。その過程で本来の意味とは変わってしまった言葉も多数あります。よく使う「退屈」や「達者」もそうです。
退屈:修行に挫折⇒暇 達者:心理に到達した者⇒健康 超:完全な悟り⇒凄い
その中でも「他力本願」は教えの本質といっても過言ではないため、問題視されているようです。
仏教ではそうあるべきと教えられているのに、世間ではダメなものとされるのは穏やかな心ではいられないですよね。
「他力本願」の使い方・例文
「他力本願」はどのように使われているのでしょうか。例文で確認していきましょう。
・一人前になりたいなら他力本願ではダメだ ・他力本願ではなく自力本願を心がけるように ・他力本願から抜け出そう ・他力本願では生きていけない
「他人任せ」という意味で注意や悪口として使われることがほとんど。仏教関連の話題以外で、本来の意味で使われることはないでしょう。なので、叱られたら黙って聞いておくことです。
「自力本願」は仏教関係なく「自分でやる」という意味で生まれた言葉。
最後の2文は例のクレームがつけられたキャッチコピーと発言です。
「他力本願」の類語
ここまで読んできた人は「他力本願」を使うのに躊躇してしまうかもしれません。同じような意味の表現は他にもあるので言い換えましょう。
・丸投げ ・責任放棄 ・無責任
「他力本願」を使う際は状況を見て
「他力本願」はとってもデリケートな言葉。使い方に注意しましょう。状況によっては使わない、言い換えるなど対応することが必要です。